高校では、４番でエースだった。かといって弱小高校だったわけではない。現に高校３年、彼が４番でエースでさらにキャプテンだった年、その高校は夏の甲子園に出場を果たしている。常に光を浴びていたその野球人生であるが、その光も消えつつある。重大な転機が今訪れようとしていた。
彼は、ゆっくりとした球をキャッチャミットへ放り込んでいた。なぜなら速い球を投げる必要がなかったからだ。試合は既に始まっていた。３点差をつけられている。消化試合とは言え、一応プロの、しかも人気チーム同士の試合である。観客席はほとんど埋まっている。彼はその観客席にほど近いブルペンで、もうかなりの量の投球練習をしていた。ひょっとしたら３ケタ投げているかもしれない。まさに練習だと彼は思う。出番は突然来るので、投げずにいることは出来ない。彼の現在の役目は、中継ぎ投手である。もう少し詳しく、格好良く言えば、左のワンポイントリリーフ。プロ野球を熱心に見ていない人からすれば、名も知らぬ一投手に過ぎない。そしてそう言った人間が、日本人の大多数なのである。
彼は、名も知らぬ一投手であった。
相手チームの攻撃が長引いていた。散々粘った挙句にライト前にゴロを転がした相手チームの５番打者が、一塁ベースでプロテクタを外していた。ワンナウト一、三塁。出番が来た。ゆっくりと歩いてマウンドに向かう。彼はリリーフカーには一度しか乗ったことが無い。あれほど乗っていて気分が落ち着かない乗り物は、彼にはジェットコースター以外に思いつかなかった。残念ながらスペースシャトルにはまだ乗ったことがない。
相手の打者は、外国人であった。彼の知っている同じリーグのどの外国人とも違う選手のようだ。２軍から上がってきたのかもしれない。そう言えば相手チームは、２軍のリーグ編成では別リーグである。アナウンスではデなんとかと言っていたように聞こえた。デシンセイなる名前が一瞬思い浮かび、頭から消えていった。名前を確認しても仕方ない。彼はその名も知らぬ一外国人打者に向かい合った。あとは、サイン通りのボールを投げるだけである。
３球目を打たれた。打球の行方を追う必要はなかった。それほどの当たりだった。この試合と、一軍生活は終わりだなと彼は思う。まだはっきり終わったわけではないが。最近湿りがちの打線が突如八百長でもしたかのように爆発すれば、勝つかもしれない。可能性は…５％ほどか。もう一つの、彼にとっては切実な話題の方は、あのデなんとかと言う外国人の成績と評判にかかっているだろう。彼が知らないだけで、もの凄い成績を残している選手かもしれない。彼はあとで奴の名前を確認したが、知らない名だった。最近ロクに野球を見ていないことに彼は気付く。世間では評判の良い選手と言うこともあり得るだろうか。20％は残る可能性があると彼は思う。楽観的に見ても、80％で一軍登録抹消と言うことだが。